赤坂地蔵
Since 2001/11/24


 西国街道(旧国道)沿いの赤坂(現在の相生市赤坂)にあったので「赤坂地蔵」と呼ばれています。那波野と境を接する池之内村の墓地内にありました。常陸国の徳右衛門という人が全国各地を旅して各地の有名な霊場に法華経を納めて回る途中、この地で亡くなりました。せがれの徳松が、その霊をなぐさめるために池之内の村人の協力を得て嘉永5年(1852)8月建立したものです。下段正面に「六十六部日本回国供養塔」と刻まれています(「相生市史」第4巻より)。

 相生墓園(墓地公園)の建設に伴って池之内の墓地が墓地公園内へ移ったとき、この地蔵も一緒に墓地公園へ移されました。それが最近、墓地公園から、池之内の上之山公園へ再移転しました。その理由を近くのご婦人にたずねたところ、「お世話をしている高齢の方々が、相生墓園まで登るのが大変だから」との答えでした。池之内自治会発行の「上の山No.41」には、(この移転で身近になって)「地蔵盆など、地域の人たちでにぎやかに出来ることでしょう」と紹介されています。このような経緯を考えると、池之内の人々には、「赤坂地蔵」という呼び名は、不満ではないかと推測します。赤坂が池之内の一部だったころはそれで良かったのでしょうけれども。

 私は池之内の生まれではありませんが、生家の水田が池之内地区にあった縁で、幼少の頃(40〜50年前)に西国街道脇でこのお地蔵さんを見たような気がします。当時の赤坂は人家のほとんど無い、さみしいところでした。街道の両側には大きな松の木がうっそうと茂っていて、追い剥ぎが出ると言われていました。祖父からは、「昔は獄門場(ごくもんば)ゆうて、赤穂藩が罪人の首をさらす場所があった」と教えられていました。そういえば当時実際にあのあたりで殺人事件があり、警察がその現場検証をしているところを、子供達だけでオッカナビックリ見に行った記憶があります。 

 下の写真は現在(上之山公園)の様子で、撮影は2001年11月23日です。

 (写真はクリックすると大きくなります。)


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