郡境争論絵図
Since 2010/03/24 


 元禄10(1697)年4月、幕府の指示で、諸藩が分担して国絵図を作ることになったとき、赤穂藩(赤穂郡)と龍野藩(揖西郡)の間で境界争いが起こり、訴訟問題に発展した。元禄12(1699)年12月、京都所司代が裁許(判決)して、境界線を確定する絵図が作られた。

 その絵図の写し(控え)が相生市や赤穂市内に複数存在するという。今回それらの一部を撮影したと思われる画像が手に入ったので紹介する。

 郡境争論の中身は「相生市史」の第2巻(470〜487ページ)に詳しく書いてある。この絵図を見ながら読むと面白い。問題になったのは光明山古城跡周辺と現在の那波野1丁目付近のようだ。

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 (画像はクリックすると5倍に拡大する)

二木峠から大陣原に至る境界線

 黒太線が郡境、赤線が道のようだ。

 左やや上に光明山古城跡の縄張りが描かれている。

 現在の相生市とたつの市の境界は、この境界線とほぼ一致している。

大陣原から天下台山に至る境界線

 以前から探している赤穂藩の獄門場や北池は、この地図にも載っていない。

 鮎帰川は現在と違って普光沢川と合流せず、芋谷川と合流して海に注いでいる。

 岩屋谷池は(明治時代の築造なので当然)ない。

 現在の相生市とたつの市の境界は、那波野地区が揖西郡を離れて相生市に合併したため、この絵図の境界より東(右)に移っている。


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