若狭野陣屋跡
Since 2002/01/02
Last updated on 2007/05/12


 寛文11(1671)年、赤穂藩主浅野長直は家督を実子長友にゆずりましたが、そのとき、養子の長恒には若狭野12ヶ村3000石を与えました。長恒は分家して直参旗本となり、延宝3年、知行地の支配のため、若狭野村に陣屋を作りました。これが若狭野陣屋の始まりです。本邸は表門、庭入口門ほか3門で囲まれた宏壮な屋敷であったといわれていますが、屋敷図は残っていません。表門が、移築されて那波野西法寺の表門として現存しているので、これによって往時の規模をわずかにしのぶことができます。

 若狭野陣屋は、文政5(1822)年に、大阪天王寺屋を引替会所として、札切手(藩札)を発行しました。当時藩札をつくった建物(札座跡)が、今も「法界庵」として残っています。なお赤穂の浅野家は「忠臣蔵」の事件で断絶しますが、若狭野陣屋の旗本浅野家は明治維新まで続きます。

 (注) 法界庵の入口にある案内板(相生市教育委員会設置)には、長恒を長直の「孫」と書いていますが、「相生市史(第二巻)」では「養子」となっています。当サイトでは「相生市史」の説を採りました。

 【追記 2007/05/12】 同陣屋の配置図は2007年1月に見つかりました。そのことを報じた新聞記事がこちらにあります。 → 赤穂浅野家 史料数千点を発見 相生の分家筋

 (写真はクリックすると大きくなります。)

南東側から見た法界庵
(相生市若狭野町若狭野)
若狭野陣屋の「札座跡」です。

撮影:2001/12/31

正面(南)から見た法界庵

撮影:2001/12/31

西法寺表門(相生市那波野)

若狭野陣屋の表門が
移築されたものです。

撮影:2002/01/02

若狭野陣屋発行の藩札
(とんび岩所蔵)

「赤穂郡若狭野」や「文政五年」
「天王寺屋」などの文字が
読み取れます。


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